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千葉地方裁判所 昭和63年(ワ)1431号 判決

原告 石井徹雄

右訴訟代理人弁護士 鈴木久義

同 福島健二

被告 茂呂喜久子

右訴訟代理人弁護士 舘孫蔵

同 川嶋義彦

同 新谷謙一

主文

一  被告の原告に対する千葉簡易裁判所昭和五六年(イ)第三一号和解申立事件及び同裁判所昭和五九年(イ)第三八号和解申立事件の各和解調書に基づく強制執行は、いずれもこれを許さない。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  本件につき千葉簡易裁判所が昭和六三年二月二九日にした強制執行停止決定を認可する。

四  前項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文第一、第二項と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原、被告間には、被告を申立人、原告を相手方とする千葉簡易裁判所昭和五六年(イ)第三一号和解申立事件につき昭和五六年八月二一日成立した即決和解調書(以下「五六年調書」という。)が存在し、右和解調書には

(一) 原告は被告に対し別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)から退去してこれを明け渡す義務があることを確認する(第一項)。

(二) 被告は原告の右明渡義務の履行を昭和五九年七月三一日まで猶予する(第二項)。

(三) 原告は被告に対し本件建物の使用損害金として昭和五六年八月一日から明渡済に至るまで一か月金一九万円宛、毎月末日限り翌月分を支払う(第四項)。

(四) 原告は、前記猶予期間が到来したとき、または特約(省略)に違反して期限の利益を失ったときは、被告に対し直ちに本件建物を明け渡す(第八項)。

(五) 原告は被告に対し、右明渡を遅滞したときは一か月当り金三〇万円の損害金を支払う(第一〇項)。

旨の記載がある。

2  原、被告間には、被告を申立人、原告を相手方とする千葉簡易裁判所昭和五九年(イ)第三八号和解申立事件につき昭和五九年九月二八日成立した即決和解調書(以下「五九年調書」という。)が存在し、右和解調書には要旨

(一)五六年調書第一項と同文(第一項)。

(二)右調書第二項の明渡猶予期限を昭和六二年七月三一日とする(第二項)。

(三) 同調書第四項の使用損害金を一か月当り金二一万円とする(第四項)。

(四) 同調書第八項と同文(第八項)。

(五) 同調書第一〇項と同文(第一〇項)。

の記載がある。

3  ところで、五六年調書及び五九年調書は、次の理由から無効である。

(一) 「民事上の争(い)」の欠如

原告は、昭和四九年九月、被告から本件建物を賃借したが、賃借に際し、契約書を作成するに代えて、不法占有者に対する建物明渡請求権の期限の猶予という構成の即決和解調書が作成され、これが、順次五回にわたり作成された(本件は、第四、第五回目の即決和解調書である)。右和解調書は、契約の当初から作成されていることからもわかるとおり、いずれも、申立時に被告において、原告に対し、本件建物につき現在又は将来の明渡を求めるために何らかの訴訟手続上の行為をなすことを相当と認めるに足る主観的又は客観的事情が存在しないにもかかわらず作成された。すなわち、本件和解調書は、原、被告間に本件建物明渡について「民事上の争(い)」を欠いているにもかかわらず作成されたものであるから、無効である。

(二) 借家法の適用の潜脱

被告は、本件建物の賃貸借契約の締結に当たり、その期間満了に際して借家法の適用を免れて更新の諾否の自由を確保し、かつ更新に際しては賃料の増額を認めさせる手段として、起訴前の和解(いわゆる即決和解)の手続を利用したものであり、これは、借家法を潜脱するものといえ、無効である。

よって、五六年調書及び五九年調書の執行力の排除を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3(一)の事実のうち、原告主張のとおり五回にわたって即決和解調書が作成されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

なお、本件請求異議の対象となっている五六年調書及び五九年調書は、いずれも本件賃貸借契約の合意解除に基づく明渡請求権を前提とするものであり、右和解申立時において当事者間に本件建物の明渡をめぐる「争(い)」があった。

3  同3(二)の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2項(原、被告間には五六年調書及び五九年調書が存在し、右各調書には原告主張のとおりの記載があること)は当事者間に争いがない。

二  ところで、原告は、五六年調書及び五九年調書は借家法を潜脱する目的で作成されたものであるから無効である(請求原因3(二))と主張するので、以下この点について判断する。

1  即決和解調書が作成されるに至った経緯等について

《証拠省略》によれば、原、被告間には、原告が本件建物を使用するに当たって、五六年調書が作成される以前に三度にわたって即決和解調書が作成されていることが認められる。そして、五六年調書及び五九年調書の効力の当否を検討するに当たっては、遡って、原告が本件建物を使用するに至った当初からの経緯及びその際の即決和解調書作成の経緯等も考慮する必要があると思われる。

そこで検討するに、《証拠省略》によれば、次の(一)ないし(五)の各事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

(一)  原告は、昭和四九年九月二五日、旭不動産の仲介で、被告から、本件建物を、賃料一か月金一〇万円、保証金一〇〇万円の約定で賃借した。原、被告間では、本件建物の賃貸借契約書は作成されず、これに代えて、被告の要求により、即決和解調書が作成されることになった。原告は、仲介の不動産業者から、裁判所にいって、ただサインして判を押してくればよいとの言に従い、昭和四九年一〇月二八日、豊島簡易裁判所に出頭し、即決和解を行った。このときの即決和解の内容は、概ね、次のとおりであった。すなわち、第一項で原告は本件建物につき何らの占有使用の権原がなく、本件建物から退去して被告に明渡す義務があることを認め、第二項で被告は原告に対し、本件建物からの退去明渡義務を昭和五〇年七月三一日まで猶予し、第四項で、右猶予期間中、原告は被告に対し使用相当損害金として一か月当たり金一〇万円の支払義務があり、第一〇項で本件建物の明渡しを遅滞したときは、一か月当たり金二〇万円の損害金を支払うという内容のものであった。

以上のとおり、右即決和解調書の内容は賃貸借契約の内容とは大きく掛け離れたものであった。

(二)  原告は、前記第一項の本件建物明渡猶予期間が満了する直前ころ、被告の夫で本件建物を管理している茂呂雄次郎から、契約が切れるので、昭和五〇年八月一日からの賃料を一か月金一五万円としたい、ついてはまた裁判所へ行ってくれとの要求を受けた。原告は、被告の夫の申し出を受け入れ、昭和五〇年九月三日、今度は千葉簡易裁判所へ出頭し、即決和解を成立させた。ここで成立した即決和解の内容は、明渡猶予期間を昭和五三年七月三一日までとする点、一か月の使用相当損害金を金一五万円(五割アップ)とする点、明渡しを怠った場合の損害金を一か月金三〇万円とする点以外は前回の即決和解調書と同一であった。

(三)  前記(二)の明渡猶予期間が満了する直前ころ、また、原告は、被告の夫から、本件建物の賃料を一か月一七万円とし、契約内容を即決和解調書にするため、今度は豊島簡易裁判所へ出頭するようにいわれた。原告は、被告の夫の申し出を受け入れ、昭和五三年七月一二日、豊島簡易裁判所へ出頭し、即決和解を成立させた。ここで成立した即決和解の内容は、当初案では原告を不法占有者とするものであったが、裁判所の勧告もあり、本件建物の賃貸借契約を合意解約したうえで、明渡猶予期間を昭和五六年七月三一日とする形にした。そして、使用相当損害金として一か月金一七万円とする他は前記(一)、(二)の和解調書に記載されているものと同一の内容であった。

(四)  そして、その後も、明渡猶予期間の満了のたびに即決和解調書が作成され、期間を三年、使用相当損害金をそれぞれ一か月金一九万円、金二一万円とする他は従前と同様の形式の調書、すなわち五六年調書、五九年調書がそれぞれ作成された。

(五)  そして、原告が被告から本件建物を賃借した昭和四九年九月から、同六二年六月までは、被告から原告に対し本件建物からの退去を求める要求は一切なく、あったのは賃料の増額だけであった。

以上(一)ないし(五)の経緯を概観すると、五六年調書、五九年調書は、それ以前の三つの即決和解調書の延長線上にあるものと捉えることができるところ、これらの調書は、一応、被告において、期間満了に際して、借家法の適用を免れて、更新の諾否の自由を確保し、かつ、更新に際して賃料の増額を有利に導くための便法として作成されたものと推認できる。ただ、被告は、本件建物賃貸借契約は当初から一時使用の約定であり、借家法の適用はないものであったと主張しているので、右主張の当否について、以下検討を加えておくことにする。

2  一時使用の当否について

確かに《証拠省略》によれば、原告は、本件建物を賃借するに当たって、仲介の不動産業者から、被告側からビルを建てるかもしれないので期間は一〇か月としてもらいたいとの話を聞いたことが認められる。しかし、他方で、《証拠省略》によれば、原告は、同じく仲介の不動産業者から本件建物を賃借するに当たって、ビルは建たないから大丈夫といわれていたことも認められる。そして、前記1での認定事実に《証拠省略》を併せ勘案すると、(一) 原告は、本件建物の賃借中、二回にわたって多大の出費をして本件建物の内部を改造し、被告はこれを承諾していること、(二) 被告及びその夫は本件建物を取り壊し、ビルを建築しようとの気持は原告に賃借する当時から腹案として持ってはいたものの、具体的にビル建築をしようと考え始めたのは、原告に本件建物を賃貸後の昭和五〇年に入ってからであること、(三) ビルを建築するためには本件建物の敷地だけでは面積が足りず、隣接する被告の建物を同時に取り壊す必要があったところ、同建物の二階部分は訴外鈴木吉男に賃貸中であったこと、昭和五〇年に入って右鈴木に右建物部分の明け渡しを求めたが、右鈴木はこれを拒否したこと、被告は、右鈴木の明渡拒否の態度が強いとみて、それ以上、明渡しの交渉はしなかったこと(ようやく昭和六一年一二月になって右鈴木に対し賃料増額請求を提起している)、このため、ビル建築の話は昭和六二年ころまで沙汰止みとなったこと、(四) かえって、被告は、昭和五七年には、隣接建物の一階部分を訴外小森豊に賃貸するに至っていること、(五) そして、被告は、原告に対し約一三年間、本件建物を明渡せとの具体的な話はしていないこと、あったのは賃料増額の話だけであったことがそれぞれ認められるのであり、これら認定の諸事実に照らすと、原、被告間の本件建物の賃貸借が一時使用の目的であったと認めることは困難というほかない。

3  以上、1、2によれば、五六年調書、五九年調書を含め五通の即決和解調書は、右調書作成当時、本件建物の明渡しを求める意図は別段具体化していたわけではないのに、原告の法律に不案内であることに乗じ、契約期間等についての借家法の拘束を免れるための便法として、簡易な起訴前の和解制度を、その制度の趣旨を逸脱して濫用して作成されたものと解するのが相当である。そうだとすると、五六年調書及び五九年調書は無効というべきであり、右各調書に基づく強制執行はこれを許さないとするのが相当である。

三  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、その余の主張について判断するまでもなく、理由があるので、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、強制執行停止決定の認可及びその仮執行宣言について民事執行法第三七条一項、第三六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 難波孝一)

〈以下省略〉

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